中国歴代の名碑名蹟の拓本を約2000点収蔵展示しています--[かうぞうちんのかん]

華雨藏珍之館・かうぞうちんのかん


 公益財団法人 アンタレス山浦財団とは
「公益財団法人アンタレス山浦財団」の前身「財団法人アンタレス山浦国際交流基金」は1989年に山浦啓榮氏が創設しました。アンタレスは星の名前で、さそり座の大きな星で夏の夜空の南に輝きます。山浦初代理事長の小学5年生で亡くなったひとり息子が天文が好きで、中でもアンタレスが大好きだったことから財団の名前にしました。

当時、山浦理事長は曲阜市の街づくりや文化財の保護、中国の子供たちへの援助など民間親善にたいへん貢献したことが評価されて曲阜市の名誉市民の称号も賜り、また特別のおはからいにより、財団を発足させた記念にと貴重な拓本を大量に贈られました。

山浦啓榮氏 経歴
1930年 栃木県足利市生れ
1958年 アンタレスビル株式会社代表取締役就任
1965年 愛息正行さん死去
1988年 中国山東省曲阜市より日中友好貢献に対し名誉市民の称号が贈られる
1989年 公益財団法人 アンタレス山浦財団創設・理事長に就任
1991年 中国歴代名碑原拓本を収蔵する華雨蔵珍之館を建設・館長に就任
1999年 下野新聞社より国際交流に尽力したことが認められ下野県民賞を受賞
2003年 足利学校へ上杉憲実公お像を寄贈したことで足利市より徳行賞受賞
2月脳梗塞のため死去 享年72

 
 
 当館について
華雨蔵珍之館とは

1991年、中国から贈られた2,000点あまりの拓本を学者に依頼して、内容の究明をしてもらうために拓本を一括して収蔵する建物、「華雨蔵珍之館」を建てました。華雨蔵珍之館の名前はちょっと変わった名前ですが、中国仏教協会の会長であった趙樸初先生が命名しました。仏教の本の中からとった言葉です。

その中国の大切な拓本を、学者の研究のためばかりでなく、地元の方々や拓本に興味を持たれる方々にも、ご覧頂こうと電話での予約により公開しております。



華雨蔵珍之館のご紹介

「華雨蔵珍之館」の名は前中国仏教協会会長であった 故 趙樸初(ちょう・ぼくしょ)先生が命名されました。先生は中国書道界の最高権威としても国際的に名声の高かった方で、中国および日本の仏教界の友好交流などに尽力されました。

当館には、玉虹楼法帖の全拓本をはじめ、曲阜孔子廟の名碑の一揃い、山東を中心とする金元時代の特別コレクション、鄭道昭の刻石、漢代画像石など、約2000点の中国歴代の名碑名蹟の拓本が収蔵されています。

これらの拓本は、曲阜市および曲阜文物管理局、さらに山東省文化庁、中国仏教協会、河南省、山西省など関係各位のご好意により、贈られた原拓本です。

収蔵のために建設した当館はまことにささやかな建物ですが収蔵する拓本は足利・曲阜両市および日中両国の未来永年にわたる友好の証しであり、学術上の価値も高く、また書道の手本としても極めて貴重な文化遺産です。

現在、日本および世界の各地には中国拓本を所蔵するところが幾つか知られていますが、その中でも当館は大変ユニークな存在かと存じます。

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公益財団法人 アンタレス山浦財団 

〒326-0822 栃木県足利市田中町907-6 TEL/FAX.0284-71-0003 
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